100周年特設ページ 100th Anniversary
ごあいさつ
燕山荘(えんざんそう)は、赤沼千尋が1921年(大正10年)北アルプス燕岳(つばくろだけ・標高2,763m)に「燕の小屋」を建てたのが始まりで、今年100周年を迎えることになりました。
これもひとえに、ご利用いただいたお客様、かかわって頂いたすべての皆様、そして今まで燕山荘で仕事をしていただいた多くの社員、スタッフの皆様のお陰と心から感謝申し上げます。
100年の間いろいろなことを乗り越えて参りました。奇しくも、開業当時はスペイン風邪、現在はCOVID-19のパンデミックの猛威に遭遇することとなりました。宿泊業態も大きく変わろうとしています。
これからも、皆様から必要とされる会社として存続し続けられる様に一層の努力を積み重ねて参る所存でございます。
長年にわたるご厚情に深謝いたしますとともに、今後ともご支援、ご指導を賜りますようお願い申し上げます。
2021年4月
株式会社燕山荘
代表取締役社長 赤沼健至
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燕山荘100年の歩み
1921年(大正10年) | 7月15日 赤沼千尋が北アルプス燕岳に90㎡50人収容の「燕の小屋(つばめのこや)」を建設する。 |
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1930年(昭和5年) | 燕山荘(えんざんそう)と改名 |
1934年(昭和9年) | 帝国ホテルにて株式会社燕山荘設立 初代社長に赤沼千尋就任 |
1935年(昭和10年) | 200人収容の本館完成 小学校の国語読本(巻十一)に小学生の書いた燕岳登山の体験記が載り、学校の集団登山がこの頃から盛んになる。 |
1949年(昭和24年) | 帝国ホテルより株式を取得 |
1953年(昭和28年) | 順天堂大学医学部山岳部による夏山診療所開設 |
1955年(昭和30年) | ディーゼルエンジンによる自家発電装置設置 |
1956年(昭和31年) | 第一別館完成 340m下方の谷間から水をポンプアップし、燃料も薪からプロパンガスに切り替わる。 |
1957年(昭和32年) | 東鎌尾根雷鳥平にヒュッテ大槍創設 赤沼千尋社長就任 |
1958年(昭和33年) | 第二別館完成 公衆電話を設置 |
1964年(昭和39年) | 中房より合戦小屋まで荷揚げ用ケーブル設置 |
1966年(昭和41年) | 個室を完備 |
1967年(昭和42年) | 喫茶サンルーム営業開始 |
1972年(昭和47年) | 浩宮様(現天皇陛下)が燕岳登山、燕山荘ご宿泊 |
1974年(昭和49年) | 新館完成 |
1976年(昭和51年) | 赤沼千尋「山の天辺」上梓 |
1977年(昭和52年) | 赤沼淳夫代表取締役社長に就任 |
1981年(昭和56年) | 畦地梅太郎作品展を開催 |
1982年(昭和57年) | 防火基準適合表示制度により消防機関から丸適マークを交付される。 |
1984年(昭和59年) | スズキ・メソード音楽院の皆さんによる第1回燕岳クラシックコンサート開催 以後毎年8月第4土曜日開催の恒例行事となる。 |
1990年(平成2年) | 日本食品衛生協会最優良施設として厚生大臣表彰を受ける。 |
1991年(平成3年) | 創立70周年、赤沼淳夫写真集「燕岳と安曇野―信州光彩」を出版 |
1992年(平成4年) | 赤沼健至代表取締役社長に就任 |
1996年(平成8年) | 燕山荘スノーシュースクール開校 創立75周年、赤沼淳夫写真集「安曇野光彩」を東京新聞出版局より出版 |
1998年(平成10年) | 積雪期(春山)登山講習を始める。 |
1999年(平成11年) | 赤沼健至発案、一人用の布団をミズノスポーツと共同開発 |
2000年(平成12年) | 別館と本館の連絡通路完成。 穂高町営(現在安曇野市)有明荘と大天荘の受託経営、燕山荘グループへ。 槍ヶ岳登頂表銀座縦走ツアー、冬季燕岳登頂ガイドツアーを始める。 |
2001年(平成13年) | 創立80周年、赤沼淳夫写真集「燕岳と安曇野―四季の心象」東京新聞出版局より出版スタッフ海外研修
アイランドピーク(6189m)6名全員登頂 テーマ高所順化 |
2002年(平成14年) | 親子ファミリー登山教室を始める。 |
2003年(平成15年) | 燕山荘グループ 海外旅行会社「天渓」設立 |
2007年(平成19年) | ヤマケイJOY読者アンケートで「いちばん好きな山小屋」燕山荘全国1位、「いちばん泊まってみたい山小屋」燕山荘全国1位、ヒュッテ大槍全国9位、「いちばん好きな山」燕岳全国7位、 「これから登ってみたい山」燕岳全国9位に選ばれる。 |
2008年(平成20年) | 山と渓谷社の企画『読者1000人に聞く!わが愛する「山」・泊まってよかった山小屋』で燕山荘全国1位になる。 安曇野市営有明荘と大天荘の指定管理者となり経営にあたる。 |
2010年(平成22年) | 雷鳥鑑賞会ツアーを始める。 燕山荘個室・イベントWEB予約システム導入 長野県知事登録旅行業第2-529 登録 (社)全国旅行業協会正会員となる。 |
2011年(平成23年) | 創立90周年、写真集「燕岳 四季へのいざない」山岳写真家岩橋崇至写真集を毎日新聞社より出版 |
2012年(平成24年) | 6月4日~10日 新宿ヨドバシフォトギャラリーで創立90周年赤沼健至と燕山荘グループスタッフ撮影写真展「アルプス銀座を行く」開催 ヒュッテ大槍トイレ新設工事 |
2013年(平成25年) | 大天荘、ヒュッテ大槍一般室WEB宿泊予約開始 大天荘トイレ新築 スタッフ海外山小屋研修 ミルフォードトラックトレッキング |
2014年(平成26年) | 燕岳クラシックコンサート30周年 6月HPリニューアル |
2015年(平成27年) | 5月28日~6月3日 新宿四谷ポートレートギャラリーで赤沼健至と燕山荘グループスタッフ写真展「アルプス銀座の印象」開催 有明荘WEB宿泊予約開始 燕山荘自炊室、夏山診療所新設 2016年1月号「山と渓谷」読者アンケート「読者1000人が選ぶ!私の好きな「山」2016」で「泊まってよかった山小屋」1位に燕山荘、7位にヒュッテ大槍、「泊まってみたい山小屋」1位に燕山荘、10位にヒュッテ大槍、「好きな山」7位に燕岳が選ばれる。 スタッフ海外山小屋研修 アッシニボインロッジ |
2016年(平成28年) | 3月18日 大天荘取得 5月24日~29日 長野県松本市美術館で「創立95周年 赤沼健至と燕山荘グループスタッフ写真展」開催 11月17日「信州ブランドアワード2016」(信州ブランドフォーラム開催実行委員会主催)の「企業・事業ブランド」部門で「燕山荘」が入選 |
2017年(平成29年) | 有明山登頂ツアー第1回催行 |
2018年(平成30年) | 合戦小屋トイレ新築 |
2019年(平成31年) | 7月HPリニューアル |
2020年(令和2年) | COVID-19 により7月14日まで休業、7月15日から営業開始 燕山荘テント場予約制導入(web予約開始) 観光庁長官登録旅行業第2116号 登録 |
2021年(令和3年) | 100周年を迎える |
■ 歴代代表取締役
赤沼 千尋
赤沼 淳夫
赤沼 健至
燕山荘初代赤沼千尋著 「山の天辺」
燕山荘初代赤沼千尋著 「山の天辺」―山小屋―より
私が燕岳に小屋を作ったとき、周りの者は皆、赤沼のバカ息子が燕に山小屋を作った。あんなもの何になるなどといっていた。でも当時は登山ブームにさしかかったころで、私はこれから槍、穂高連峰の登山にとって山小屋は絶対になくてはならないものだと思っていたし、それなりの成算ももっていた。
私は、大正十年、北アルプス燕岳に、現在燕山荘の前身である燕の小屋を建てた。この小屋は北アの峰々に山小屋といえるものが作られはじめてから三番目に古いものだった。これら小屋の創立者たちはそのほとんどがすでに他界してしまった。
日本アルプスという名称は、明治二十年ごろ、英国人登山家チェンバレンによって付けられた。その後、明治二十六年になってガイド上條嘉門次の案内で北ア・前穂高岳のピークを踏んで英人宣教師W・ウエストンが、日本アルプス、とりわけ北アルプスの名を世界に広めた。
この後、明治三十九年、後の日本山岳会初代会長小島烏水が、燕―槍を縦走、さらに登山家・鵜殿正雄が嘉門次のガイドで穂高―槍を縦走するなど、北アの峰々にあこがれた日本の登山家たちや槇有恒ら日本山岳会の重鎮たちが、続々と槍―穂高連峰、常念―蝶ヶ岳などに押し寄せるようになった。
広い大洋のなかで、突然暴風雨に襲われた小船が、温かく迎えてくれる港に逃げ込む。これと同様に、けわしい山の中では登山者たちは、突然変わる山の天候に追われて山小屋に避難する。
北アの山々に登山家たちがやって来るようになると、当然この“港”が不可欠になる。地元松本市や南安曇郡のガイドや関係者たちは山小屋を作る必要に迫られてきた。
大正四年、県は当時盛んだった常念山脈縦走コース(南安曇郡穂高町(現安曇野市穂高)中房温泉―燕―大天井―常念のコース)のうち、大天井岳二の俣に小さな避難小屋を作った。これは現在もその跡が残っており、常念岳から大天井岳の峰筋を歩く登山者は3.3平方メートルほどの岩小屋の跡を見るはずだが、私はこの建築も県から頼まれて作った。これがいわば山小屋のハシリといえる。
山小屋第一号は、松本市に住んでいた、今は亡き穂苅三寿雄さんを中心とした松本市六九青年会員たちが大正六年に作った槍沢小屋である。北アで最初に作られたこの山小屋は、大正の終わりに対岸からの雪崩でつぶされ、その後火事で焼けて、いまでは石ガキが積まれ、槍沢のU字谷の中に埋もれている。
この後、常念岳北側の鞍部に常念小屋ができ、それに続いて大正十年、燕岳南側の稜線上に燕の小屋を作った。
燕の小屋は二十四坪(七十九平方メートル)の広さで五十人くらい泊まれる筈だったが、満員になったことなど一度もなかった。小屋は雨水を取りやすいように屋根をトタン張りにしたが、当時としてはハイカラなものだった。
山小屋が続々と作られたこともキッカケとなって、学生や登山家以外の一般の人々も北アルプスに押し寄せるようになった。信濃山岳会の調査によると、大正十年に槍、穂高、燕、常念岳に登った人は四千五百人。昭和元年(大正十五年を含む)には七千五百人、昭和三年には二万四千人にも達していて、その中の五割の人が山小屋を利用したといわれている。
また昭和四十九年、北ア・北部の山々にやって来た登山者、ハイカーは約十万人にもなり、燕山荘も改築や増築を重ねて、今では本館のほかに二つの別館を備え、収容人員は七百人と大規模な“小屋”となっている。
長野朝日放送制作「信州の百年企業 燕山荘」
2021年3月14日にabn長野朝日放送「信州の百年企業」で放送されました。
100周年記念バンダナプレゼント
100周年を迎えられたことへの感謝の気持ちをこめ、100周年記念オリジナルデザインバンダナを作成いたしました。今年、燕山荘にご宿泊いただいたお客様に1枚進呈させていただきます。
コロナ対策
燕山荘グループ(燕山荘・大天荘・ヒュッテ大槍・有明荘・合戦小屋)では、お客様に安心してご利用いただけますように、出来る限りのコロナ対策を実施して営業させていただいております。
今シーズンも、コロナ対策の基本、三密回避、換気を徹底し、さらに、空気清浄機の導入など感染防止のための工夫を積み重ねております。
燕山荘グループのCOVID-19対策へのご理解とご協力を賜りますよう宜しくお願い申し上げます。
2,500m以上の高山の場合は、低酸素・低気圧のため風邪等の症状が良くなることはありません。コロナウイルス感染症が発症した際には重篤化する恐れがあります。登山前の2週間の生活には十分ご留意いただきお越しください。上山途中に体調がおかしいと気づかれた場合は、迷わず下山することをお薦めします。