お餅つきと鰤の奉納と第3回冬季燕岳登頂ツアー
何年ぶりでしょうか、元旦に初日の出が拝めたのに続き、概ね晴れが続いた穏やかな正月三が日となりました。思いもかけない連日の日の出に、毎日早朝から燕山荘周りは写真を撮る人達で賑わいをみせました。
【穏やかな正月三が日】
【初日の入】
初日の入とでも言いましょうか、終日晴れ間が続いた元旦の日の入り、
きれいに笠ヶ岳辺りに沈む瞬間を、多くの人が目にすることができました。
どうか山を愛でる人たちにとって、事故怪我なく楽しい一年が過ごせますよう・・・
【新年餅つき大会】
燕山荘の正月恒例行事であります新年餅つき大会は、数年ぶりに快晴無風青空の下行われ、大盛況でした。
【鰤の奉納と第3回冬季燕岳登頂ツアー】
今回のツアーは、越年登山となり、燕山荘で年越し、初日の出、元日の燕岳登頂、鰤奉納、燕岳をバックにお餅つき・・と全て最高の条件下で体験いただくことができました。
耐風姿勢の取り方を練習
元旦の朝食。代表赤沼から今年もご縁がありますように、の「お年賀」を。
今回は条件が整い、アイゼン、ピッケルワーク、ロープワークを行いました。
【燕岳登頂と鰤奉納】
第3回登頂ツアーの皆さんと一緒に、燕山荘井村が登山口から背負い上げた鰤を燕岳山頂に奉納し、
今年も鰤街道を燕岳山頂まで繋げることができました。
【鰤街道とは】
皆さんのお家の年取り魚は鮭ですか、鰤ですか。
東日本では概ね鮭、西日本では概ね鰤のようですが、長野県はその境界線上に位置していて、地域や家によって鮭と鰤の文化圏が混在しています。
冷蔵・冷凍技術が未発達の頃、富山湾で水揚げされた鰤は、保存が効くよう塩鰤にされ、飛騨まで運ばれ、さらに野麦峠を越えて信州松本まで至りました。この富山から岐阜高山を経て信州松本までの旧飛騨街道は、「鰤街道」と呼ばれています。当時は人の背で何日もかけ、命がけで運ばれ、松本に着く頃には約4倍の値段がついていたそうです。
その「鰤街道」をさらに松本から燕岳頂上までつなげようと、11年前から塩鰤を燕岳登山口から背負い上げ、燕岳頂上まで運びました。信濃毎日新聞松本平タウン情報 丸山祥司氏のご協力をいただいて、11回目の奉納となりました。ぶりの文化圏は、燕岳まで広がっています。
写真:井村克彦、榊 寛昭、河地清人、赤沼健至
文:榊 寛昭
「景色がすばらしい」
「奉納した鰤を頂くことが出来て良かった。」
ご参加いただいた皆様、誠にありがとうございました。
第3回ツアーガイド:井村克彦 赤沼敏治 大蔵喜福氏 中島政男氏
ガイドは、燕山荘スタッフのほかに、エベレストをはじめ、8000M峰を4座登頂されている大蔵喜福氏、(社)日本山岳ガイド協会認定国際山岳ガイドで夏はシャモニに滞在、冬は日本で雪山講習会のガイド等を務めている中島政男氏にも加わっていただきました。
期間を通して比較的穏やかな今シーズンの燕山荘年末年始営業も残すところわずかとなりました。
1月後半からは燕山荘スノーシューツアーが始まります。全11回のツアーを予定しております。
詳細は、燕山荘HPイベント「燕山荘スノーシューツアー」よりご覧ください。