南穂高村(現、安曇野市豊科南穂高)出身の彼は1937年、国産機で東京→ロンドンを当時の記録を約70時間更新する94時間余りで飛行し、日本最初の航空国際記録を樹立しました。
日本中の期待を背負った飯沼飛行士ですが、ヨーロッパの誰もが彼の挑戦に関心を持たなかったそうです。
都市間連絡飛行の国際新記録を出し、日本の飛行機設計能力を世界に認めさせた彼は、プノンペンで真珠湾攻撃の報せを聞きそのショックで滑走路へふらふらと出て軍用機と接触し亡くなってしまいます…
直接的な原因ではありませんが、戦争が彼を殺したようなものですね。
その飯沼飛行士の生家に記念館があり、彼の経歴、遺品等が展示されています。▼