夕焼けの主役は赤く染まった雲
7月27日・28日、二日とも雷が発生したためか、夕日が沈んだ後の雲がドキッとする赤い色に染まり、お客様は突如現れた自然の美しいドラマに感動しておられました。
【60年以上続く学校登山】
長野県の学校登山の歴史は古く、新田次郎著「聖職の碑」は大正2年(1913年)の出来事です。1956年燕山荘の第一別館ができ200名収容できるようになってから県内中学校は年間50校以上の学校が学校登山を実施してきました。コロナ禍もあり今年の県中は地元穂高東中学校の皆さん1校のみとなりましたが、他に東京世田谷の成城学園中学校、長野県の大町岳陽高校、上越市の高田高校の皆さんが登ってこられました。
▲66年学校登山が続いている東京世田谷の成城学園中学校の皆さん
追記:成城学園中学校の学校登山の歴史も古く大正12年(1923年)中房温泉を起点に林間学校を行いその一環として燕岳日帰り登山、驚くことに一部の生徒は一日で槍ヶ岳まで行っている。当時の学校長は創立者の沢柳政太郎(文部次官、東北大学初代学長、京都大学総長を歴任、松本市出身)で、野外教育で生徒の自発性を重んじ個性尊重教育を主唱した。
写真・文 赤沼健至